2013年08月10日

お釈迦さまものがたり[30]《心と煩悩》

ヤエザキオオハンゴンソウ(八重咲き大反魂草)
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スゴい名前・・・


暑いですね〜ふらふら


でも、

動真庵では、まだなんとかクーラーいらずで過ごせてますよ。わーい(嬉しい顔)



先日の夜中、動真庵の裏でゴトゴトと物音・・・

そして、聞きなれない鳴き声が・・・がく〜(落胆した顔)



こんな時間にダレだーexclamation&questionっと、パシャリカメラ



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ピント合ってませんあせあせ(飛び散る汗)

アナグマ君たちでした。


写真には写ってませんが、2匹でゴソゴソ・・・


しばらくしたら、のそのそと去っていきました。



それでは、お久しぶりの続きです。



数ヶ月前のカピラ出城時、


父王シュット・ダーナーは


ゴータマの身辺警護・情報提供・食料の補給などの任務にと、


コースタニア

アサジ

マーハー・ナーマン(ゴータマの従弟)

バティーヤー

ウッパカ


からなる五人の体力・武力の優れた若者にそれを命じたのですが、


彼ら五人はいつの日か修行者となって、


ゴータマとをともにするようになります。


いっときゴータマはそれを許さなかったけれど、


何日かしてから彼ら五人は、


ゴータマの修行の邪魔は一切しないという条件付で、


また自分たちも自らの意思


サロモン(修行僧)となって修行をするということで、


ゴータマは暗黙裡のうちに彼らを弟子のようにしていきます。


自分の身からを離して寝(やす)んだことのなかった

彼ら武者達もすっかりと修行者らしくなり、

もうここでは夜陰にまぎれて外敵に襲われ

寝首をかかれることも身を構える必要もなくなり、

今は刀や槍は捨て、


人を信ずることができるようになっていくのです。


これは何ものにも勝る心の安らぎでありました。


彼らとは道を求めるという共通の目的があったので、

友ともなってゴータマを励ましてくれるようにもなりました。 

ときおりゴータマは夜中にめざめ、

彼ら五人の寝所をみて歩くことがあった。

寝所とはいっても、もちろん野外であります。

焚き火の周囲に五人が五人とも安らかに寝入っている。


「これでいいのだ……」


ゴータマは過ぎたカピラに想いを馳せながら、

そうつぶやくのでありました。


しかし夜中、

ありし日のカピラに想いを向けると、

妻ヤショダラや愛妾ゴーパたちの顔が浮かんできます。

彼女らはゴータマの心の中で微笑みかけてくるのです。

するとこちらもそれに引き込まれ、

過ぎし日の生活が様々によみがえり、

煩悩の焔(ほのお)メラメラと燃え上がってきます。

しばしその中に耽溺して・・・


ハッがく〜(落胆した顔)と我にかえる。


「いけない――」


思わず、自分のムチを打つのです。
 

追憶を楽しむ心の弱さに、

ゴータマは自分で自分を恥じていた。


カピラ出城の目的は何であったのかexclamation


妻ヤショダラや子ラフラを、

そして一国まで捨てたその願い
は、



一切の煩悩を断ち切り、

人間の迷いを解く
exclamation×2



それによって解脱ができた道を得て

それを人々に教えさとす・・・



それにあったのではないかexclamation


五人のかつての武者たちを見て、

ついカピラの様々な情景が浮かんでくるようでは、

これから先の道程はまことに険しいといわざるを得ません。


ゴータマは己の心の弱さに、


その心の弱さが一体どこから来るものか


立ち止まって、己自身を見つめるのでありました。


それと同時に、人間が持つ煩悩というものが、

斯くも根強く心の中に食い込んでいるものか、

決してそれは姿・形には現れずとも、

に触れることによって

それが心の中の想念となって現象化し、

しかも知らぬ間に一人歩きをして動き出し、

あたかもそれが現実の如くよみがえって真に迫ってくる。


人間が持つ心というものは、

まさに不思議なものであるものぞ
と、

あらためてゴータマは気づかされる次第でありました。



ゴータマ・シッタルダ(お釈迦様)も人間だったんです。

煩悩の焔(ほのお)メラメラと・・・

私たちと同じなんですよね。


posted by どうざん at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | お釈迦様ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月10日

お釈迦さまものがたり[29]《追求》

紫陽花
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小雨梅雨小雨が明けましたねるんるん


明けた途端、高温注意報・・・


極端な天気が続きますね・・・ふらふらたらーっ(汗)


だいぶ期間が空いてしまいましたが・・・あせあせ(飛び散る汗)


お釈迦さまものがたり続きです。




「悟るための別な修行法の存在」を確信されていくゴータマ・シッタルダ(お釈迦様)。


形の上ではアララ・カラマー仙人たちと同じ


禅定三昧にふける生活


をしていましたが、


ゴータマ・シッタルダ(お釈迦様)は、この頃あたりから・・・


修行の中味について彼等とは明らかに違っていくのです。


それは、まだまだはっきりとした考えや方法は見出せてなくとも、


自分自身心の内から湧き上がる様々な疑問に対しては、


その一つ一つを克明に、

自分なりに解答を引き出し、

それらを体系的に積み上げていこうとするやり方
でありました。


ただ・・・


協力する相手もなく、

こうした疑問解答の方式が

悟りという目的地まで到達できるのだろうか




先々への不安はありました。



歳月はどんどんと進んでいきます。


けれども、


暗闇の山中と同様、どんなに禅定三昧にふけっても・・・


ゴータマの心の中には一筋の光明すら
見出せません。



彼のヴァックーバー仙人やアララ・カラマー仙人の理非を究めたとはいえど、


かといってそれに換わる修行法は見出せずにいます。



真(神)理に向けての疑問そして解答・・・


新たなる疑問そして解答・・・


また次の疑問そして解答・・・・・




連綿と続くこれら追求は、


四六時中、無制限に続くものとはかぎりません。


追い求めれば追い求めるほど、問題の核心から遠のいていく・・・


・・・そんな感じでならなかった。



ある事に一点集中して、


あれこれ角度を変えて解答を求めようとすると、


頭のシンが痛くなり、眼は充血してくる。 


ものごとを考えることによって招来させる肉体の疲労度は、

労働のそれよりも数倍のエネルギーが消耗する。


もつれた糸が一つ一つ解きほぐれていけば、

労の何割かは補い得るが、

カピラ出城以来、これといった手掛かりすら・・・


つかんではいなかったのです。


このため緊張が絶えず心の中を占め、

焦り
もありました。


ゴータマの鍛えた肉体は次第に衰えをみせ、

まだ修行数ヶ月というのに頬はこけ、

見えなかった肋骨が皮膚の間を

食い込むように陰影をつくっていた。

 

ゴータマはときおり、


大の字になって夜空をながめました。


そして緊張をほぐすために大きく吐息します。



雲ひとつない夜空はたしかに美しかった。


砂金を散りばめたような天の川・星々の群は、


ゴータマの心とは何のかかわりもないように、


明るく、素直にまばたいている。


ぴかぴか(新しい)大きく、小さく、キラキラぴかぴか(新しい)と、


まるで生きているかようにゴータマを見下ろしていました。


ジッとその天空を見つめていると、


それら明滅する星々が、


静かに近寄り、そっと語りかけてくるようでありました。


星々は何もいわぬが、


そのぴかぴか(新しい)キラキラと明滅する光ぴかぴか(新しい)は、


無限の包容力を持って迫ってくるのでありました。


ゴータマは静かにまぶたを閉じます。


すると明滅する光は、


一つの大きな光体となって、


それがまるでぴかぴか(新しい)光の布団ぴかぴか(新しい)のように、


彼の身や心を暖かく包んでくれるのではありませんか。


ゴータマの意識光のドームの中を

物凄いスピード天空へ天空へと飛んでいくのです。



光源を求めて、

どこまでもどこまでも飛び続けているのです。



悩み苦しむ一個の自分は、もうそこにはありませんでした。


まさにゴータマ・シッタルダの意識は、


天地を支配している慈悲の光明の中に、


スッポリと溶け込んでいるではありませんかexclamation


そして、ハッと我にかえると・・・


今の今まで

暖かく包んでいた大宇宙にある慈悲の光明

はあとかたもなく、

やせ衰えた一個の肉体と自分がそこにあるだけでした。



「あの一つ一つの星にも生命が宿っているのだ・・・・・」



ゴータマは心・感慨になり

こう自らに訴えかけるのです。



つづく・・・
posted by どうざん at 12:28| Comment(0) | TrackBack(0) | お釈迦様ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月19日

知ってますか?茶神と呼ばれた人

なんだか雨梅雨入り雨してるのに、少ないですね。


しかも動真庵では、爽やかな風が吹いてましたよ。るんるん



昼寝最高exclamation×2
※注:私はお昼寝してませんよ(笑)



そんなとき、よく来てくださるお客さんのNさんが、



「あなたと同じようなことやってた人が載ってるよ」



と、情報誌をくれました。


それがこれ

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JR九州さんが発行されている

旅のライブ情報誌【Please(プリーズ)】

「ご自由にお持ち帰りください」というものです。


No.312 5月号の中にありました。

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禅宗(黄檗宗)のお坊さんです。


お茶で有名と言えば・・・


ご存じexclamation


千利休


侘び茶の祖・茶聖と称され有名ですが、


このお坊さんは、煎茶の祖・茶神と呼ばれている方です。


高遊外 売茶翁(1675-1763)


この方の功績はといいますと、


当時、お茶は薬として珍重された時代でもあり、

身分の高い人の飲み物ふらふらでした。


要するに、上流階級の文化だった「お茶」


その喫茶の風習

かわいい庶民にまで広めた人かわいいです。


この方、出家修行した寺を継ぎ、そして高僧への出世の道をも断って


京都の鴨川のほとりに、


「通仙亭」という小さな庵(いおり)


を構え、売茶(茶店)の暮らしをされていたそうです。



そうこれが・・・



ぴかぴか(新しい)日本初の喫茶店ぴかぴか(新しい)



と言われています。



では、何故?高僧の道絶ち売茶なのかですよね。



これは、どうやら『自活』の手段だったようです。


どういうことかというと・・・



当たり前のようにお布施をもらい、

身分の高い人の飲み物だった

茶の湯をもて遊ぶ

当時の僧侶たちへの不満、



そして、「士農工商」という身分制度の中で

最も賤(いや)しいとされる

物売りをすることで痛烈な体制批判



を込めていたそうです。


売茶翁の著『対客言志』の中で


「うかうかと眠り呆(ほう)けている人の目を覚まさせたい」


と語り、煎茶というツールを使うことより


多くの人に仏の教えを伝えようとしました。


伝えによれば「通仙亭」には、


『清風』の旗が掲げられ、


『一啜為君洗心腑』
(いってつきみがためにしんぷあらわん)

【一碗(わん)の煎茶であなたの身も心も洗い流します】


などの偈語(げご)が貼られていたそうです。


ちなみに『清風』とは、


一切のこだわりから抜け出た清々しい境地


を指す禅語です。


それまでのややこしい煎茶の作法を簡素化し、


気軽にお茶を楽しめるようにした。


そして、一杯啜(すす)れば、
 
世知辛い世の中のことなど忘れて快くなりますよ
わーい(嬉しい顔)


と説かれました。



黄檗宗(禅宗)の僧である売茶翁。


禅宗には、他に臨済、曹洞がありますが、


黄檗はもちろん、他のどちらも極めた、


要するに【禅】を極めつくした


とてつもない人
です。



動真庵とは格が違い過ぎて、

恐れ多いのですが・・・
あせあせ(飛び散る汗)



確かに似たことをやってますね。



知らなかった自分が恥ずかしいもうやだ〜(悲しい顔)



でも、【動真庵】を創(はじ)めた意義や目的

理解して頂いていることに感激してしまいました。



動真庵 夏至に迎える 一周年

創(はじ)めてよかった 

茶でもどうぞ




ん〜・・・ひねりが足りませんね・・・たらーっ(汗)
posted by どうざん at 11:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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