2014年06月21日

お釈迦さまものがたり[35]《心の曇り1》

今日は・・・

動真庵2周年

3年目に突入ということで、

久しぶりに更新です。あせあせ(飛び散る汗)

P6081426.JPG

さて、前回までのお釈迦さまものがたりは・・・


不思議と心に波風が立たず、心の静寂が続き、

このままいけば・・・

めざす悟りの境地(解脱)にたどり着くかにみえた
のでありました。



が、しかし・・・


明鏡止水とされた静寂なゴータマのその心も、

ふとしたことから曇ってしまわれます。


そもそもの始まりは、

コースタニヤら五人と、バラモン修行者との

口論
でありました。


バラモン行者が彼ら特権階級意識をむき出しにして、

コースタニヤら五人がしている修行をあざ笑い

そのうえアレコレと理屈をこね、なじるのである。 


当時・バラモン修行者の間では、

道場破りというか過激に論争を挑み

「我れこそが勝ちなり!」

と誇らしげになって弟子を奪い

名声を上げようとする者が多くいたといいます。


もうこうなったら、

自己の修行悟りなどはどうでもよく

勝ち負けだけがすべてであるとする権力闘争へと身を任せ、
宗教の本義などどこへやら?
ということになりましょう。


でも考えて見れば、この時代は

バラモン種という一握りの特権階級者

政治・軍事・司法の全権を掌握していた下にあったわけだから、

バラモン教などとは名ばかりの宗教でしかなく、

それはバラモン外の民衆を支配するための体(てい)のよい道具となって、

彼らバラモン種がいいように宗教を利用していただけのこと

であったといえるでしょう。 


このように・・・


容赦なく他者を排撃する特質を持つ宗教が

自己の教義を喧伝するあまり次第に過激になっていけば、

それが日常生活の隅々にまで強く影響を及ぼすことになり、

やがては政治や軍事にまで露骨に介入がされ、

何よりもモノ言わぬ弱き大衆が犠牲にされてしまうことになりかねません。 


宗教と政治とは火と油 


結びついてしまうとロクなことはありません。


そこでは、特定思想のみがあらゆる規範を統括するようになり、

何よりも自由が奪われ、人々は弾圧され、

その結果そこに厳しい恐怖政治体制が敷かれ、

世の中の進化発展は損なわれ、

やがては独裁者の誕生となり、

不幸だけが後追いするばかり・・・


歴史をみればおわかりでしょう。


人間の業(ごう)といえば業といえるわけですが・・・

歴史は繰り返すといわれます。  


私たちが存在している

この地上界・三次元立体空間

私達・魂が進化向上していくための、

いわゆる神仏が与えてくれた格好な修行の場であります。

人間良心と過去の教訓、

何よりも開かれたお互いの理解・意見交換を通じ、

私達一人一人が、

こうした偏見をもつ者達から

この地球守らなくてはなりません


と、大きなことを言ってしまってますが、

動真庵は、それくらいの気持ちで

あり続けたいと思っておりますので、

これからも、どうぞよろしくお願い致します。



posted by どうざん at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | お釈迦様ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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