2013年03月04日

お釈迦さまものがたり[21]《無=悟り=心の安らぎ??》

何気なく空を見ていたら・・・

IMG_20130304_102901.jpg

ただの曇り曇りなんですが・・・


いつもだったら、雲が「浮かんでいる」「流れている」


としか感じてなかったのですが、


今日のこの雲


飛んでましたexclamation


何が言いたいかと申しますと、


生きているexclamation

って感じがしたということです。


雲にも「いのち」があるなという感じ。


地球も一つの生命体。


その一部である私たち


地球私たちは、別々の生命体であるが、


地球があるから、私たちが存在でき、

私たちがあるから、地球が存在する。



一見、別々であるが、実は一つであるという

不二(ふに)


「お釈迦さまものがたり」において


重要なパスワードキーワードですひらめき




それでは、前回ですが


アララ・カラマー仙人瞑想訓練法


現代ストレス社会には効果ありexclamation


で終わってましたね。



で、それはそれとしても、


心全体(表面・潜在の全意識)の働きを完全に停止させてしまうような


「無」の境地をどうやって作り出したらよいのか?


また仮に「無」の境地を得たとしても、


そこからどうやって



ぴかぴか(新しい)悟り=心の安らぎぴかぴか(新しい)へと結びついていくのか?



私には、よく理解ができませんが、



今の座禅のあり方も・・・


こうした考え方を取り入れて悟ろうとしているのかもしれませんねふらふら



そもそも、悟るという観点からする座禅というのは・・・


本当は、おかしいことになります。


何故なのか?と申しますと・・・



そもそもお釈迦様は、


こうした座禅しておりません。



極端にいえば、


世の中の体験や学習から一切離れるという


こんな全意識停止=心不在を意味するだけ


「無」となるための修行に終始してしまえば・・・



そりゃ〜ちょっと・・・無茶な話ですよあせあせ(飛び散る汗)


だって、


苦しみ煩悩が仮にそれで外(と)れたとしても、


これでは、


甘いも辛いも、楽しむ、喜ぶ、美しいと感動、好きだ嫌いだ、


そして、考えることすら・・・



すべてを放棄



することになってしまいますよね。


たとえそれによって生老病死の苦から抜け出しても、


同時に人生の喜怒哀楽のすべて



をも失ってしまうことになります。がく〜(落胆した顔)



あたかもそれは人間の生干し、


鯵の干物と同じで、


それなら人間として生きている価値なんか何もないことになってしまいます。あせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)



これでは、言っちゃうと悪いのですが・・・



極端ですが、自殺礼賛に通じますし、


生きていく目的も責任も感動も喜びもない。



そんなのは絶対exclamation×2

おかしいですよねexclamation 




まぁ〜、それはそれとして、


理論家であるアララ・カラマー仙人のことですから、


熟慮検討のうえの「無」となって悟っていくためにはと、


修行方法入念に組み立てていくわけです。


禅定によってを落ち着かせ


「自分自身を思わない瞑想」
(非想の境地=相対無の境地)
に入り、


さらには


「自分自身を思わないことすらも思わない瞑想」
(非非想の境地=絶対無の境地)
をし、


それによってぴかぴか(新しい)悟り=心の安らぎぴかぴか(新しい)は得られるものとする彼の修行法・・・


その方法には


九つのセクションに分かれた修行の階梯(段階)があるのです。




次回は、その方法を公開ですわーい(嬉しい顔)




posted by どうざん at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | お釈迦様ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。