2013年03月01日

お釈迦さまものがたり[20]《アララ・カラマー仙人「我(が)」を捨てるための修行法》

早いもので、もう3月ですねexclamation

動真庵でも、

かわいいようやく咲きましたかわいい


IMG_20130301_110301.jpg
すいせん



では早速・・・



アララ・カラマー仙人は、


日常生活の中で去来する意識(表面意識ばかりではなく、


無意識のうちに働く潜在意識としての自分さえも


自分自身からとってしまわなければ、


生涯、つきまとわれるとするのです。


彼はこのことを、



「我(が)を捨てないことには、生老病死からの苦しみすなわち煩悩は常に自らに付いてまわる」



といいます。 



アララ・カラマー仙人はそこで


「我(が)」を捨てるための修行法を考え出します。


とはいえ、これは人間意識そのものにそなわる本能的「我(が)」取り除くための修行ということになります。


それには当然のこと、


幾つもの段階があり、一段一段をクリアしながら、


それこそ「我(が)」の城壁を取り囲みしながら、


本丸へと攻め込まなければならない順序立てが必要となります。 



まずは、


もっぱらを落ち着かせる禅定行をすることにつとめます。


これを修行の第一段階とし、


それから先は心・静寂の禅定をよりいっそう時間をかけながら積み重ね、


そして意識全体の停止を意味する「無」の境地へと心を深めていくべく、


諸処段階からなる禅定瞑想をとらなければならないとするのです。


やがては


「自分自身を思わなくなるための瞑想」
(非想の境地=相対無の境地)
の修行をおさめ、


さらには


「自分自身を思わないことすらも思わない瞑想」
(非非想の境地=絶対無の境地)
修行をして


「無」の境地なるものの極限深め


そこまで辿り着けば・・・


無為自然なまま「悟り=心の安らぎ」そのものは得られていくもの・・・


としたのです。 


しかし先述したように、


心の本質からすれば、


こうした意識活動の停止を目的とする禅定瞑想は・・・




いくら頑張ってもできる代物ではありません。



ただ、


ぴかぴか(新しい)「悟る」ぴかぴか(新しい)といった《大それた目的》など求めずとも、



常に錯綜した情報や人間づきあいに

意識想念が取り巻かれ、

混迷・不安・気疲ればかりの

日常業務に追われる

現代ストレス社会に身を置かねばならぬ者



ならば、誰でも、


こうした心の静寂を主眼とさせた瞑想訓練法は、


とても効果があるでしょうねるんるん



そして、次回

《無=悟り=心の安らぎ??》

です、お楽しみにわーい(嬉しい顔)


posted by どうざん at 14:08| Comment(0) | TrackBack(0) | お釈迦様ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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