2013年02月23日

お釈迦さまものがたり[18]《アララ・カラマー仙人「無」の境地》

動真庵の裏山へと続く山道。
IMG_20130223_103557.jpg

ちょっと!?整備すれば、散歩コースができそうです。


木々に囲まれているので、癒しスポットとしてもよいかも。わーい(嬉しい顔)




ではでは、



今回は、肉体苦行ではなく、


「無」の境地になることを求め、


それによって「悟り」の証しを得たいとするアララ・カラマー仙人



瞑想行についてです。


 


アララ・カラマー仙人




「生老病死の苦しみすなわち煩悩は、我(が)基(もとい)である」

「我々が意識ないしは無意識のうちに働かせてしまう我(が)へのこだわりが、
生老病死という煩悩苦しみを引き起こすのだ」


「だから、自らのから我(が)を働かせないようすれば煩悩は起こらない」

「そのためにはをもっぱら、無(む)(無の境地)にさせていく瞑想修行をしなくてはならない」



とする教えです。 



ここで「意識」「無意識」


アララ・カラマー仙がとなえる「無の境地」について、


それぞれの違いを後年の釈迦・お悟りの見解に立たせ説明していきましょう。



まず、ここでの「意識」とは、


の表面層・10%の表面意識の働きをいいます。


一般に意識とは、


のスクリーンに何かを描こうとする働きをいい、


それは具体的な想念画像(想念)へと繋がっていきます。 


これは私達が日常生活の中で行っている


通常の意識活動に該当いたします。 


次に、ここでの「無意識」とは、


そうした表面意識が働こうとする以前のの状態を意味し、


私達のの中にある


表面意識の内に包まれた奥層・90%の潜在意識が働く意識活動をいいます。


これは私達が持つ隠された意識となってあるもので、


日常使っている10%表面意識ではなかなか現われ出ることが難しい



ぴかぴか(新しい)神仏と同通がされる心の中心核ぴかぴか(新しい)

ないしは

「私達の守護・指導霊の居る霊界」


とに通ずる意識に相当し、


創造と自由と智慧

そして、慈悲と愛とに満ちた溢れた


ぴかぴか(新しい)無限の宝庫ぴかぴか(新しい)


となってあるものです。


それはまた、表面意識が眠った眠い(睡眠)


夢の中で働くことになる


自分自身の正直な意識活動でもあり、
※夢と潜在意識の関係については、後日書きます。



私達みなそれぞれ各人に等しく内在する


「心のふるさと」


といえるものでもあります。


ここでは言葉の上で「無意識」とはいうけれど、


意識そのものは潜在意識となって働いていることになるので、


広い意味ではやはり意識といえ、


先に示した「意識」=表面意識とは


本質的に変わりはありません。


そして「無の境地」についてですが、


アララ・カラマー仙人自身が当時、


こうしたの分析をしていたかどうかは別として
※なぜならば上述の表面意識潜在意識などの知識概念は、釈迦が後年悟ることによって知りえた事実であるから。


アララ・カラマー仙がとなえる「無の境地」とは、


表面潜在からなるの全意識を完全に働かせないようにするという、


まさに、


「意識」「無意識」の停止

(イコール)

    心不在の状態


を意味していたことになります。 



でも、これは不在の状態になりますから、


このような状態になるというのは、


ほぼ有り得なく、あるとすれば・・・


交通事故など突然死の場合に起こる可能性があるという


無意識状態(無意識界地獄)に堕ちたとき以外には、
※ここでいう地獄とは?というのも後日、書きたいと思います。
※重要なポイントは、【地獄】という場所が予め用意されているわけではない!ということは、知っておいて下さい。
 



心不在 =「無の境地」


という状態が起こることはないといえます。 



そして、次回


アララ・カラマー仙人の言う「我(が)」とは??


お楽しみに!


posted by どうざん at 14:45| Comment(0) | TrackBack(0) | お釈迦様ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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