2013年01月20日

お釈迦さまものがたり[11]《禅定のあり方》

先日、花合野(かごの)美術館に行ってまいりました。

NCM_0372.JPG
詳しい場所は、>ここをクリック<



動真庵に納められている『十一面観音菩薩』


実は、こちらより縁あっていらっしゃいました。


そして、コーヒー喫茶店を頂きながら、こんなものも見せていただきましたexclamation

木製の美術品(めざし、キュウリ、栗)
NCM_0370.JPG
注:「なすび」は、サンゴ。左上の「ロウソク」は、鹿の角




で、お知らせですが、


facebookで動真庵のページを作りました。

http://www.facebook.com/doushinan


現在、ちょっとしたことをほぼ毎日?facebookの方に書いています。


このFacebookは、誰でも見ることで可能なものですので、ブログしか見ていない方は、こちらものぞいてみてください。


ブログの更新情報なんかもお知らせしていますので、よろしくお願い致しますexclamation


そうそう、「ハロー大分」どうでしたでしょうか。


私たちは、(TVがないので)まだ見れてません。たらーっ(汗)


後日、CDDVDCDが送られてくる予定ですので、楽しみに待っている状態です。るんるん


ハロー大分のホームページに紹介してありましたので、チェックしてみてください!


☆ココをクリック☆




それでは、久しぶりの続きですよ〜わーい(嬉しい顔)





ゴータマがカピラ城を出て六日目の夕方のことでありました。 


バラモン(インド最上位の僧侶階級種族)系の修行者が同じ森の中に入ってきた。


70過ぎのようだが適当な場所を見つけると、もう瞑想に入っていた。 


でもこの修行者の場合は、悟りのための瞑想というより


森林生活という一儀式


の中に自分を置いているような雰囲気でありました。


ゴータマはこの修行者に「禅定のあり方について」質問をします。


そして、返ってきた言葉は・・・



「その目的とするところは一切の雑念を払い、になることである。になったときに、は現われ、自分ととが一体になるもの」


ということであった。 


これって、私たちが思う座禅(瞑想)の方法ですよね。


でも、ゴータマ(お釈迦さま)にとっては・・・


・・・低い段階でありました。



想念を無にするとされる瞑想三昧は、


人によっては雑念から遠ざかる方法として必要ではあろう。


ただ雑念を浮かばぬようにさせることと、


仏の出現、さらには仏の境界とが、


どうして結びつくのか?


ゴータマからすればそこがおかしいのであった。



武術の稽古にも無念無想ということがよく言われます。 


自分がになると相手の動きがよくわかり、相手から打たれるということがないのだという。


ところがゴータマの経験からすれば、無念無想という心の状態は、


人間が呼吸をし意識が目覚めている限り、そうした瞬間は生まれても、


長くは続けることができないことが知れた。 


またそうした心の状態は、≪悟り≫などとは縁もゆかりもない


ただの思い込み・錯覚にしか過ぎないものである。


そのことも二十九年間・ゴータマ自身のの探索からよく理解がされていたのでありました。 



こうして、ゴータマは一礼して、自分の居場所に戻っていかれました。



続く・・・




posted by どうざん at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | お釈迦様ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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