2012年11月04日

お釈迦さまものがたり[3]《疑問》

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お待たせ致しました。手(パー)


第三話目の『釈迦の疑問』です。



お釈迦様(ゴータマ・シッタルダ)は、物質的には何ら不足はなくても、これら不安定な精神環境の中で子供時代を過ごされます。


しかし、長ずるにしたがって、さらに多くの疑問を抱かれるようになっていかれるのです。 



先ず第一には、



ゴータマ・シッタルダ(お釈迦様)の住まいカピラ城内での・・・



ぴかぴか(新しい)華やかな生活ぴかぴか(新しい)


しかし、外に出れば・・・


カースト制というインド社会制度による厳しい身分差別がく〜(落胆した顔)
(学校の授業で習いましたよね。)


特に、アーリア系白人種優先この身分差別は、


日本の士農工商などとは比較にならぬほど


苛酷冷徹なものがく〜(落胆した顔)がく〜(落胆した顔)がく〜(落胆した顔)


特に、最下級シュドラー=奴隷のもとに生まれてきた人はというと・・・


生涯、牛馬人畜としてその身分が扱われることに。がく〜(落胆した顔)がく〜(落胆した顔)がく〜(落胆した顔)がく〜(落胆した顔)がく〜(落胆した顔)



たとえどんなにかわいい才能かわいい(例えば、頭が良いとか、絵が上手い、歌が上手いとか・・・)があろうが関係ありませんもうやだ〜(悲しい顔)



また同じ白人種であっても、細かな身分規定によって生活の一切が厳密に統制され、その中でのごく一部


マーハー・バラモン


と言われる特権階級生まれの者でなければ、


もちろん宗教的な道を説くことはできず、


まさに、特権階級生まれである最上級僧職らが・・・



意のまま世の中を牛耳っていたのですexclamation×2



それら絶大な権力を握る根拠となったものが、


ウパニシャードをはじめとしたバラモンの経典ということになります。


お釈迦様(ゴータマ・シッタルダ)は、子供ながらに、


これら歴然とした身分差別疑念を抱かれるようになり、


そこに、


人間としての哀れさや、


世の中の無情さ


というものを正視せざるを得なくなります。


また、生まれて間もなく死んでいった母のマヤ姿もう一度見たい、会いたいといった気持ちにも駆られます。


死んだ母が居るであろうあの世への思いが募りはじめ、


隣国コーサラの侵攻や城内でのスパイ事件などを併せ、



生への執着

生への苦しみ

生への悩み



一層、ゴータマ・シッタルダのを騒がせていくようになります。 


それらは長ずるにしたがって彼の心の中をますます占領していくようになったのです。 


前回(お釈迦さまものがたり[2])で述べたように、


私達がこの世に生まれてくる際には、


正しく魂修行ができ、そして悟っていけるよう


あの世において綿密な環境選びをしてきているのです。


ところが、この世に生まれてしまうと、


あの世での「この世の環境選び」を記憶している『潜在意識』と、


この世だけの経験で培われた魂(心)の意識『表面意識』とが逆転


「心の意識転換」がなされ、それら過去のことが思い出せなくなってしまうのです。 


そのために、


心を忘れ


あの世を忘れ 


神仏すら信ずることができなくなってしまうわけでありますが・・・


逆に、だからこそ、この世で修行ができるということにもなるのですが・・・



ん〜・・・たらーっ(汗)



いずれにしても「この世」そして「あの世」というもの、


それら関係を取り持つ「私達の心」というものは、


うまくできているということになりますね。



次回は、


『ゴータマ・シッタルダ(お釈迦様)の逃避』


でお送りしますわーい(嬉しい顔)


早めの更新exclamation&question心掛けますので、


お楽しみにexclamation×2


posted by どうざん at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | お釈迦様ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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