2014年02月14日

お釈迦さまものがたり[34]《金緑色の光》

P2130846.JPG

ものすごくが降りました。


40cmくらいでしょうか・・・


ここまで降ると、あらゆるものの動きを止め、反響する音を吸収してくれるおかげで、

静寂を楽しめます。

聞こえるのは、せせらぎ鳥の声


えも言われぬ空間


です。

では、続きです。


五年目の雨季がめぐってきたある日、

ゴータマは洞穴で禅定をしていると、

再び眼の前が金色に輝き出してきます。


今度の場合は・・・


その光の中から、

この世のものとは思えぬ 

際だって鮮やかな緑


一面に展開していて、

とてものどかというか実に牧歌的な田園風景が現れてきます。


ゴータマは静かにその光景を眺めました。


樹木の一枚一枚の葉がまるで蛍光塗料で彩られたように鮮烈な緑をきわめ、

一つとして黄色の葉はありません。

しかもそのたるや、同じには違いはないけれど、


一枚一枚の葉に微妙な緑の色のニュアンスがそれぞれにあって、

この世の色彩感覚では到底表現できようもない、

そんな緑を全面に浮き立たせており

一枚一枚の葉は脈々と呼吸をし

みずみずしく躍動しているではありませんか
exclamation


ゴータマは、唯々・・・

心に映るそれら鮮烈な緑の光景にはめ込められてしまうばかりで、

しばし心我一体の境地にひたります。


ゴータマは三十余年の間、父に連れられ、

狩りの途中、あるいは戦いの合間にと、

様々に眼を見張るような光景に接してきたが、

そのどれ一つとして、

いま眺めている景観に比すべきものはなかった。


眼の前に広がる余りの美しさに驚嘆して、

ゴータマは思わず・・・ 


「なんと素晴らしいことかexclamation

 緑は呼吸をしているexclamation
 

 みんな躍動をし生きているexclamation×2」 


感嘆の声が、腹の底から漏れた。

感動にふるえ、涙が噴き出るように頬に伝わった。


これほど切実に大自然が胸に迫ってきたことは

まさに初めての経験でありました。


ここで、ゴータマ・シッタルダ(お釈迦様)はこの世(現象界)には非ざる

光り輝きに満ちた実在界という


ぴかぴか(新しい)心の世界ぴかぴか(新しい)


をあからさまに垣間見たことになるのです。 



ゴータマは静かに、眼を見開いた。

だが眼を開けても・・・

禅定の景観が、瞳孔に焼きつき、

決して消えることがなかった。


まさにexclamation×2

≪心の眼≫で、

心の世界をありありと見定めた

ということになります。 


ゴータマ・シッタルダ(お釈迦様)は、

ようやく眼の前が開かれたような気がしてなりません。

悟りに前進したと思われました。 


雨がやみ、

時間をみて遊行に出ても、

心は軽やか、重くのしかかっていたシコリのようなものも・・・

取り払われたような気持ちでありました。


そうして次には、


しばし眼前に映った光の世界を通して、


来世・自分のあの世の姿を、そしてもっとその奥にあろう

真実なもの・悟りの在り処を見とどけよう



と、決意を新たにするのでありました。


二日、三日、四日と、心の静寂が続いた。


不思議と、に波風が立たなかった。

行雲流水という言葉があるけれど、


ゴータマの心は自然の流れにそのまま乗っている感じでならなかった。


こうして、このままいけば・・・


めざす悟りの境地(解脱)にたどり着くかにみえたのでありました。


posted by どうざん at 17:22| Comment(0) | TrackBack(0) | お釈迦様ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月10日

お釈迦さまものがたり[33]《悟りへの修行》

P2060737.JPG
ま〜最近、よく雪が降ります。
景色はきれいなんですけどね。


雨季が終わりを告げたある日のこと、

父・シュットダーナーから身辺護衛のためにと派遣はされながらも、

自らゴータマの弟子となって苦楽を共にし修行をしてきたコースタニヤら五人に対して、

ゴータマは心の中をこのように打ち明けます。


「あなた達と共に生活はしてきたものの、

結果は少しも前進しないようだ。

共同生活をするとカピラでの生活の延長にもなってしまう。

王子と家臣という関係が再び生じ、

あなた達は何かと気を使ってくれるし、

こちらもつい・・・それに乗ってしまう。

ありがたいことだが、修行はあくまでも一人でやるべきであろう。

他人の肉体的苦痛を自分が代わろうとしてもそれはできないように、

悟りもまた、独力であるはず・・・」



こう決まると、

ゴータマは一時的に彼ら五人と別れを告げ、

何らかのキッカケがつかめればと思い、

近くのガヤダナまで行きます。

そこで拝火教の一つであったフイフイ教の修行者

ワイヤリス・スタディー

という老僧に会い、話し合ってみることにした。 

たが期待とは裏腹に、


フイフイ教もヴァックーバー仙人と何ら変わらず、

肉体行一途でしかなかった。


それ以外のバラモン修行者とも積極的に会うことにして、

いろいろ話し合ってみたものの・・・


結果はみな同じ


一番の関心事であった「心の問題」については、

全く解答が得られない状態でありました。


いずれも、

悟りへと迫る理論的な組み立て・修行内容・修行方法などについては、

彼のアララ・カラマー仙人よりは劣っていることがわかり、


あらためて悟りへは自らで求めていくしかないことを

思い知らされることになったのである。 


やむなくゴータマはウルヴェラへと再び戻ることにした。

それから、五人の仲間と膝を交え、

彼らとは共に情報交換をしながら、

思う存分exclamation語り合ってみた。


彼ら五人もラジャグリハの町で多くの修行者達の説法を聞き、

生老病死の問題についてたびたび討論をしていたのである。

他の修行者達は

どんな考え方を持ち出して、

どんな修行方法を凝らし、

どこまで悟りへと近づけたか?
 


とはいえ・・・なかなか結果らしきものは得られません。


彼らもまたゴータマと同じように、

悟りは自分自身でひも解くもの、

人をあてにしてはいけないもの


との結論に至ります。


次回《金緑色の光》です。
早めに更新しますふらふら
お楽しみに
posted by どうざん at 17:27| Comment(0) | TrackBack(0) | お釈迦様ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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