2013年10月11日

お釈迦さまものがたり[番外編11]《肉体【物質】と心【精神】2》

ヌスビトハギ(盗人萩)
PA090306.JPG
花がハギに似ていますが、マメ科の多年草です。(小さすぎてわかりにくいですが・・・)

マメ科ですから、もちろん豆ができるのですが、

その豆は2節からなり、その姿から

抜き足差し足・・・泥棒の足跡にそっくりということから

この名前。

残念というか・・・かわいそうな名前ですもうやだ〜(悲しい顔)


では、前回の続きですexclamation


不安定で固体的な物質の波動によって

大きく影響されてしまう

精神・心の世界


その典型はと言いますと・・・


私達が持つ肉体その感覚器官となる

五官(眼耳鼻舌身)に表れてきます。 


ここからちょっとイメージして頂きたいのですが、

私達人間の姿というものは、

まず、中央部には[心]があります。

その中央部である[心]の周りには

輪廻転生の記録によって個性化され、

まさに自分となって性格づけられた

[魂]が包み込み、

さらにそれらを覆い包むあの世(神仏の世界)の体である

の体、いわゆる[光子体]というものが、

それぞれ重なり合うようになって出来上がり、

それによって永遠なる霊的生命体を作り上げています。


しかし、今生この世に生まれてくると、

更にその上に物質肉体を覆い重ねなくてはなりません。
 

このように、私達人間の姿何層構造にもなっているわけなのでありますが、

本来の生命体となって永遠に生きようとする

私達の心魂(心魂を包む体としての光子体)そのものは、

この世で物質肉体を纏うことによって、

荒い物質波動からの影響を強く受けてしまい、

そのため心的感覚焦点ボケが生じ、

あるいは心的操縦不正確さが伴い、

心の奥層(神仏の心)という観点からすれば・・・


盲目にも近い状態


へと置かれてしまうのが現状であるようです。

そのため、たとえ心魂(光子体)それ自体に

心の眼(五官)はあっても・・・

一番外側である肉体の眼(五官)で見たものが即優先とされ、

それは耳にしても鼻や舌そして全身の感覚器官にしてもすべては

肉体のそれらに取って替えられてしまうようになります。

その結果、肉体を纏うことによって、

そのものは表面層でしか働かず、

いわゆる表面意識でのみで

それもごく皮相でしかない薄っぺらい表面の意識

物事を考え判断してしまうことになり、


どうしても「自己中心」が全面に出てしまう


そんな偏った小さな心へと変質してしまうのです。

これを仏教では


五官六根


といいます。 

つまり、

肉体を纏い物質波動に惑わされてしまうと、

どうしても肉眼など肉体五官で受けた姿や形などが

すべてに強く影響を与えることとなり、

それによってそのものがとらわれ

とらわれた自己保身という意を多く受け持つ心の表面層

強く働きかけることになるのです。



その結果・・・


ものごとを心の奥層で考え判断することなど及びもつかなくなり、

心の中で作り出される想念そのものが

心の表面層内で終始完結がされるという意味内容を持つ



自分よがり・短絡な想念


となっていく傾向となり、

それが心身に大きく働きかけていくようになっていく・・・

これを

五官六根

というのであります。 


前回の「お釈迦さまものがたり」で書いてましたが、

お釈迦さまでさえ、身辺警護に来た若者5人に出会うことによって

肉体の眼(五官)による煩悩の焔(ほのお)がいつの間にかに燃え上がり

追憶を楽しんでしまわれました。


あのお釈迦さまでさえ、肉体をまとってしまうと・・・


それぐらい影響力があるんですね。ふらふら




posted by どうざん at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | お釈迦さまものがたり[番外編] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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