2013年03月08日

お釈迦さまものがたり[23]《アララ・カラマー仙人の瞑想修行法2》

最近は、とても暖かくなりましたねわーい(嬉しい顔)


動真庵では、がようやく数輪咲き始めました。


もうちょっと咲いたら、アップしますグッド(上向き矢印)


なので今日は、「アオキ」
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前回からの続きです。


自分自身を思わないという


この「非想の境地」すらも超越した、


まさに外界からも心のうちからも何も感じることがない


絶対無の境地にまで完全到達していくことになる。


これを



「非非想の境地」


すなわち


「絶対無の境地」



といい、ここで初めて解脱・悟りというものが得られることになるとするのである。




これこそがexclamation×2


終極の第九段階


すなわち



ぴかぴか(新しい)仏陀の瞑想境地ぴかぴか(新しい)



といえるものであるexclamation×2


とします。



・・・が、しかし・・・exclamation



アララ・カラマー仙人から言わせると、



ここにまで到達ができた者は、


自分自身を含め・・・



未だ一人もいない・・・


というのであります。あせあせ(飛び散る汗)


exclamation&question


そんなバカながく〜(落胆した顔)


という感じですが・・・


こうした第九段階にまで至る瞑想法は、


故(ゆえ)なくして出来上がっているわけではありません。


それ自身は、



数百年来にわたるバラモン・ヨガ行者による

実践積み重ねという試行錯誤があって、

徐々に構築されていった体系的な瞑想法であること



を是非とも知っておいて下さい。 




で、そこで気になるのが・・・




ゴータマ・シッタルダ(お釈迦様)の場合は



ということですよね。




アララ・カラマー仙人のような



「無の意識境地」でなく、



過去の意識想念に対しての


厳しい懺悔・反省を修したうえでの



「清らかな意識境地」



になることに主眼を置いた


禅定瞑想をとられました。



お釈迦様自らの独自な意識境地を求めるため、



九つからなる段階に分けて禅定瞑想を順次に積み重ね、



もって


ぴかぴか(新しい)悟ること(仏陀となる)ぴかぴか(新しい)


ができたわけであります。 


はい、ここで何故九段階にも瞑想法が分けられ、

何故第九段階に到って悟りそのものが得られるのか??





それはですね・・・




・・・の前に、




まずは、

私たちの心の世界この世あの世の関係性を知らなければなりません。






ですので、次回は、そのあたりを書いていこうかな・・・


posted by どうざん at 17:52| Comment(0) | TrackBack(0) | お釈迦様ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月06日

お釈迦さまものがたり[22]《アララ・カラマー仙人の瞑想修行法1》

去年の秋、いろんなをまきました。



そして、現在
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ようやくexclamation×2

完全ほったらかし栽培exclamation&question



はい、続きですねあせあせ(飛び散る汗)



「悟り=心の安らぎ」は得られるものとする


アララ・カラマー仙人修行法には、


九つものセクションに分かれた修行の階梯(段階)があるんですが、


まぁ〜、これが大変ややっこしい・・・たらーっ(汗)



アララ・カラマー仙人の瞑想修行法



@瞑想の第一段階


先ずは静かな所で心を落ち着けます。

要は、

常に静寂な地に身を落ち着かせなければなりません。



A瞑想の第二段階 


瞑想の第一段階ができたならば、


謙遜

忍辱(にんにく)
※我慢・耐えることではなく、真理をわきまえ物事の是非を悟って、忍ぶこと


など様々な正しいと思われる戒めをよく守って、

から遠ざかり、

身心ともども善心の意識境地にはめ込ませていく。



B瞑想の第三段階


瞑想の第二段階を乗り越え、


ただひたすらに心落ち着かせ

不善という禅定行をしていけば、

※不善とは、悪い結果を惹(ひ)き起こすことになる良くないこと。
※ここでいう「不善という禅定行」とは、良くない結果を惹(ひ)き起こすであろう物理的な行動ではなく、「思い」や「考え」といったものを捨てること。

 
自然と心の奥底から自分自身に満足ができる、

よろこび(悦心)の意識境地へと変化していくものである。



C瞑想の第四段階


こうした悦びの意識境地を深めていくと、


今度はよろこび(悦心)の意識境地すら湧き起こらない

の境地が生まれてくるものである。



D瞑想の第五段階


そうすると次第に、

今度はが真っ直ぐとなり、

が揺れ動くことはなくなり、

知らぬうちに偏らない自分不動の自分が作られていくものである。


これを正念の意識境地といい、


それによって瞑想の第五段階にまで到達していく。



E瞑想の第六段階


瞑想の第五段階(正念の意識境地)にまで到達していくと、


無意識のうちに自分のの奥底

自分が自分自身楽しんでいるという

不思議なの意識境地
へと達していくものである。



F瞑想の第七段階


やがて、この瞑想の第六段階の楽の境地すらも自然と消え失せていくのである。



G瞑想の第八段階


こうした瞑想の第七段階に定まると、


すべての外界から受けるものがなくなり

まさに無の境地の一歩手前から無の境地にまで

澄み清められていく
ことになる。



これを、自分自身を思わないという

「非想の境地」


すなわち


「相対無の境地」というのである。



そして、さらに・・・



次項有つづく次項有
posted by どうざん at 15:04| Comment(0) | TrackBack(0) | お釈迦様ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月04日

お釈迦さまものがたり[21]《無=悟り=心の安らぎ??》

何気なく空を見ていたら・・・

IMG_20130304_102901.jpg

ただの曇り曇りなんですが・・・


いつもだったら、雲が「浮かんでいる」「流れている」


としか感じてなかったのですが、


今日のこの雲


飛んでましたexclamation


何が言いたいかと申しますと、


生きているexclamation

って感じがしたということです。


雲にも「いのち」があるなという感じ。


地球も一つの生命体。


その一部である私たち


地球私たちは、別々の生命体であるが、


地球があるから、私たちが存在でき、

私たちがあるから、地球が存在する。



一見、別々であるが、実は一つであるという

不二(ふに)


「お釈迦さまものがたり」において


重要なパスワードキーワードですひらめき




それでは、前回ですが


アララ・カラマー仙人瞑想訓練法


現代ストレス社会には効果ありexclamation


で終わってましたね。



で、それはそれとしても、


心全体(表面・潜在の全意識)の働きを完全に停止させてしまうような


「無」の境地をどうやって作り出したらよいのか?


また仮に「無」の境地を得たとしても、


そこからどうやって



ぴかぴか(新しい)悟り=心の安らぎぴかぴか(新しい)へと結びついていくのか?



私には、よく理解ができませんが、



今の座禅のあり方も・・・


こうした考え方を取り入れて悟ろうとしているのかもしれませんねふらふら



そもそも、悟るという観点からする座禅というのは・・・


本当は、おかしいことになります。


何故なのか?と申しますと・・・



そもそもお釈迦様は、


こうした座禅しておりません。



極端にいえば、


世の中の体験や学習から一切離れるという


こんな全意識停止=心不在を意味するだけ


「無」となるための修行に終始してしまえば・・・



そりゃ〜ちょっと・・・無茶な話ですよあせあせ(飛び散る汗)


だって、


苦しみ煩悩が仮にそれで外(と)れたとしても、


これでは、


甘いも辛いも、楽しむ、喜ぶ、美しいと感動、好きだ嫌いだ、


そして、考えることすら・・・



すべてを放棄



することになってしまいますよね。


たとえそれによって生老病死の苦から抜け出しても、


同時に人生の喜怒哀楽のすべて



をも失ってしまうことになります。がく〜(落胆した顔)



あたかもそれは人間の生干し、


鯵の干物と同じで、


それなら人間として生きている価値なんか何もないことになってしまいます。あせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)



これでは、言っちゃうと悪いのですが・・・



極端ですが、自殺礼賛に通じますし、


生きていく目的も責任も感動も喜びもない。



そんなのは絶対exclamation×2

おかしいですよねexclamation 




まぁ〜、それはそれとして、


理論家であるアララ・カラマー仙人のことですから、


熟慮検討のうえの「無」となって悟っていくためにはと、


修行方法入念に組み立てていくわけです。


禅定によってを落ち着かせ


「自分自身を思わない瞑想」
(非想の境地=相対無の境地)
に入り、


さらには


「自分自身を思わないことすらも思わない瞑想」
(非非想の境地=絶対無の境地)
をし、


それによってぴかぴか(新しい)悟り=心の安らぎぴかぴか(新しい)は得られるものとする彼の修行法・・・


その方法には


九つのセクションに分かれた修行の階梯(段階)があるのです。




次回は、その方法を公開ですわーい(嬉しい顔)


posted by どうざん at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | お釈迦様ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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