2013年02月12日

お釈迦さまものがたり[16]《煩悩》

お釈迦さまものがたりを連続で書いてますが、


動真庵には、手塚治虫さんが書かれた『ブッダ』もありますよ。

IMG_20130212_154714.jpg


それから、1月19日にテレビ大分放送の『ハロー大分』での動真庵です。
http://www.youtube.com/watch?v=1PuxgTUFxqI
喫茶去Cafe 動真庵 【ハロー大分編】




それでは、続きです。



今回もヴァックーバー仙人


ヴァックーバー仙人は、


この世にて肉体苦行をすれば煩悩はなくなると言います。



これって本当に、そうなんでしょうか?



苦行によってボロボロになった肉体からは、


確かに一部煩悩は抑えられることにはなるでしょう。


そのうえ、他の人間とは違い、


苦行を積んだ人間というのは、


我慢忍耐には、特に優れた面があるでしょうから、


足ることがある程度知れて、


煩悩コントロールすることなど一部できるでしょう。 



しか〜しexclamation



煩悩というものそれ自体は、


どんな状態に置かれたとしても、


それが全く無くなるということは・・・



まずあり得ませんexclamation×2(キッパリ)



なぜならば・・・



人間が生きていく以上


「現実」と、

こうあってもらいたいとする「願望」との間には、


必ずといっていいほど、その間に隔たりができてしまう



それが人生の常であり、


その隔たりから・・・


要するに、それらギャップから、


まさにここでの「煩悩」が生まれてくるといえるからである。 



つまり、


ボロボロとなった肉体「現実」で、


それと「願望」とが仮に均衡されていたとしても、



「願望」



それ自体は肉体とは全く別次元にある



「心の領域」



独自に一人歩きをして作られていくものであるということ、




ヴァックーバー仙人はそれを見落としているのではなかろうか。



そして、


「現実」は現実としてもちょっとした心変わり


「願望」が変化すれば、


「現実」「願望」との間にギャップが生まれてしまい、


そこで即、


煩悩が生ずることになるのである。



つまり、煩悩とは・・・



「現実」肉体



「願望」


との間のギャップ



から生ずるものであり、


そこではまさに「心」の動きいかんでどうにでもなるということ、


それこそ、正しく押さえなくてはならないものである。



そこで肉体とは全く別次元

「心の領域」で作られていくことになる


各種煩悩程よく抑えていけるようになるためには、


「心」の鍛錬こそ


していかなくてはならなくなる。 


だからこそ、


修行とは・・・


肉体ばかりでなく、



に対しても修されていかなくてはならないもの。



というより、



この「心」にこそexclamation



かわいい向けられ、修されていくべきものかわいい



ということなのではないでしょうかね。


posted by どうざん at 21:07| Comment(0) | TrackBack(0) | お釈迦様ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月06日

お釈迦さまものがたり[15]《ヴァックーバー仙人「肉体苦行」》

IMG_20130205_231434.JPG


暖かくなったり、寒くなったり・・・


おちつかない気温ですね。


そこにこんなニュースが・・・


独立行政法人 科学技術振興機構さんがやっている


サイエンス チャンネルにて



太陽観測衛星ひのでから届けられた

太陽活動サイクルのデータによって、

現在の太陽が17世紀の中頃や18世紀の終わりにあった

「ミニ氷河期」

に似た状態であることがわかりました。


とのニュースがありました。

はその動画です。

http://www.youtube.com/watch?v=QEa_8CqrgOU



人間業である『温暖化』


しかし、


このニュースは、


人間業を超える『宇宙業』


今や温暖化問題は、


《排出権》を先進国と新興国で売り買いするという


「温暖化ビジネス」という


環境ビジネス化している現実。


地球が悲鳴を上げているはずだった『温暖化問題』



「ミニ氷河期」に向かいつつあるという現実の前に


この問題は、実は、人間の欲望によって作りだされたものだった。


悲しい現実です。




それでは、続きです。



前にも記した通り、


ヴァックーバー仙人の説は


「肉体行で煩悩を滅却すれば、人は天上界に生まれるものだ」


と要約されるように、



「肉体からの煩悩発生説」

「苦行絶対主義」

そして

「因果応報・循環=輪廻転生説」


を標榜していたのです。



生老病死に代表される人間苦、


その原因は煩悩にあり、この煩悩肉体から漏れ出してくるものである。


だから苦行によって肉体をいじめていじめ、いじめ抜けば・・・


肉体からの煩悩は出てこなくなる。


したがって娑婆の人間苦もなくなり、


そんな状態(苦行によって廃人となった)で死んでいけば、


死後、無上の楽が受けられるもの。



彼はこうした教説をとなえ、多くの苦行僧を養成していたのです。



当時はこんな修行法が一般的であったというのが適切な表現といえます。


というより、今でも多くの仏教宗派宗門においては、



さもこれこそが、悟っていくための修行法exclamation

それこそ王道exclamation×2


であるとされています。
(また、過激派イスラム教の自爆テロなんかも同様な思想と言えるかもしれませんね。)


寒の時期になると水行や滝行などアチコチでなされています。


皆だれでも、


「坊さんの修行は厳しいものだ。

だから、これらの行を出た坊さんは尊い」



と一応の合点はするのです。



しか〜しexclamation



彼ら修行者が今生で苛酷な苦行をして


仮に天上界に生まれたとしても・・・


輪廻転生(循環・因果応報)の説からすれば、


またこの世に肉体を持って生まれてくることになるわけで、


肉体からの煩悩をなくすため


再び同じ苦行(肉体行)


この世で続けなければならないことになる。


この世に生まれてくるたびに、


こんな苦行を繰り返していかなくてはならないのなら、


未来永劫、安住とした心の安らぎなど得られるはずはありません。



苦の娑婆があって死後の楽を受け、また苦をくぐって楽を得・・・



の堂々巡りずぅ〜〜っと・・・


していくことになりますよね。


みなさまは、


正直言って・・・



この苦行によって煩悩をなくすという理屈に同調できますか?



どう考えてみても、


どうもねぇ・・・ふらふら


って、感じだと思います。



やはり、


気持ちを安らがせるという目的ための修行


という観点・方法からすれば、


肉体行そのものは正しい修行法とはいえそうもないことがわかります。



恐らく、これらの修行を望む人達は、


という一刹那の肉体・煩悩苦に囚われて我慢の苦行をしているだけで、


永遠の生命・輪廻転生という


私達が持つ「いのち」の本質やそれら道理にまで及んでなく、


やたら肉体をいじめるばかりで、


それが返って、


自分の肉体への強い執着となることにさえにも・・・


気がついて、いらっしゃらないのかもしれませんね。
posted by どうざん at 15:42| Comment(0) | TrackBack(0) | お釈迦様ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月03日

お釈迦さまものがたり[14]《行脚》

今日も天気が良かったですね。晴れ


でも動真庵は、午後三時半くらいには・・・


太陽が山に沈んでしまいます。たらーっ(汗)


日没後の動真庵
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それでは、お釈迦様の話しに戻ります。



広い中インドの各地……


バッチ国の首都ヴェッサリーから始まり、


最終的な修行地となったマガダ国ラジャグリハ西南に位置する景勝地


ガヤダナに至るまで・・・


数ヶ月の間、若きゴータマ・シッタルダ(お釈迦様)が



隈なくめぐり歩いたそもそもの理由



があります。


それが何故かというと・・・



師と仰ぐ導師を求めてのことでありました。



がしかし・・・



残念なことに一人として導師と仰ぐ人物とはめぐり会えません。



そうした各地修行遍歴の中で、


ゴータマは特別に印象的であった出来事を回顧するのです。 


先ずは、カピラ出城後まもない頃のことでありました。


ヴェッサリー郊外にあるアヌプリヤの森


その南側に位置する森林地帯には、



世に誉れ高い宗教家が二人いたのです。



一人は先に述べた

ヴァックーバー仙人


さらにその西南方にもう一人 

アララ・カラマー仙人


それぞれ肉体荒行瞑想という、


全く別々な指導をする特異な修行場があったのです。


このアヌプリヤの森から修行場を望むと、


まるで風景画を見ているように、


山水が調和され、


まさに心が洗われる思いがした。


ゴータマが初めてこの地を踏んだときには、


思わずその美しさに声をのんでしまうものでありました。


だが、こうした自然美とはうら腹に、


そこで展開されている片やヴァックーバー仙の修行場は、言わば・・・



地獄界修羅場といってもいいほど苛酷な肉体行



に明け暮れる場景であったのです。




がく〜(落胆した顔)あぁ〜、なんと恐ろしや〜がく〜(落胆した顔)





ということで、


いつも長かったので、今日はこのへんで。


次回お楽しみにわーい(嬉しい顔)
posted by どうざん at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | お釈迦様ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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