2013年01月29日

お釈迦さまものがたり[13]《心と神仏》

ここ二日ほどは、とても晴れ天気晴れがよく


ぽっかぽかですわーい(嬉しい顔)

陽だまり
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さて、お釈迦さまですが・・・



カピラの城を出て、もう数ヶ月が経ち、


サロモンとしての修行がすっかり板についてきたゴータマ。


出家の出発点はさきの


ヴァックーバー仙の修行場


それを皮切りに


東南方向に向かい、ガンダク河流域にあるバッチ国の首都


ヴェッサリー


ゴグラ河上流に向かっての西北方に位置する大国コーサラの都


シラバスティー


そしてゴグラ河下流に降りてガンジス大河との合流地点
その東南方に位置する大国マガダの都


ラジャグリハ


またガンジス河を西に上ってカッシー国


パラナッシー


と……各地を点々と遊行します。


そしてまた東方マガダ国へと下り、


彼にとって一番気に入った修行地であるとされる


ガヤダナ(ラジャグリハの西南)


に落ち着くことになります。


ゴータマは、ガヤダナの地をこよなく愛し



悟るまではこの地を離れまい



堅く心に決意したとされ、


事実その6年後、彼はこの地で悟ることができたことになります。


彼が各地を遍歴したそもそもの理由は、


師と仰ぐ導師を求めたからでありました。


だが、これだけ精力的に中インド各地に足を運ばせ、


「これぞexclamation


と思われる人物を求めたわけですが・・・


そうした導師には一人としてめぐり会うことはできなかったといわれます。 






私たちによくあることですが、


こんな時って・・・


気ばかりが馳せるだけで、遇うべきチャンスがやって来ずふらふら


いつしか高い高い志が消沈してしまう・・・・・もうやだ〜(悲しい顔)





でもゴータマはそんな弱腰ではなかったのですexclamation×2


畏れ多くもお釈迦様ともあろうお方です。


それとは知らずとも、



「こうなんだexclamationこうしなさいexclamation



と、それこそこんなときに・・・



ぴかぴか(新しい)光きらめく守護・指導霊方々ぴかぴか(新しい)


ゴータマ自身の心の中にある


無意識層(潜在意識)から


物凄い力でゴータマに働きかけていたのであったのではないでしょうか。



そうexclamation私達の心の中には誰にでも、


私達自身をあの世から見守ってくれている専任の担当官ともいえるべき方々が居るんです。



それを守護霊といいます。



また、この守護霊だけでは処理できない問題が起きたとき、


あの世(霊界)でもさらに上段階に居る専門スペシャリストである



指導霊がそのつど手助けしてくれもいたします。


ただ、彼ら指導霊は常時手助けしてくれるとは限りません。


彼らは諸天善神とか光の天使級の方々であって、
それこそ多く人達を導く役割を担うからです。
※ここでの光の天使とは、光の世界、いわゆる神仏の世界、天界からの使いと理解して頂ければよろしいかと思います。


そして、


守護霊指導霊といわれる方々は、


私という心の中に居るということを、


是非知っていただきたいのです。 


神社仏閣や御墓参りも大変結構なことですが、


神様や仏様という方々は、



実は・・・



私達の心の中に居るということなんです。




さて、次回ですが・・・



一体、守護霊とはなんぞや??



でお送りしますexclamation


お楽しみにわーい(嬉しい顔)


posted by どうざん at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | お釈迦様ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月25日

お釈迦さまものがたり[12]《壮大な目的》

今日は、寒い・・・

午後3時くらいでこの温度
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がく〜(落胆した顔)



ではでは、続きを・・・



自分の居場所に戻るゴータマ。


そもそも、この「インド最上位の僧侶階級種族」である
バラモン


は一体どんな生活をしていたのか?


気になりますよね。わーい(嬉しい顔)



こんな生活だったんです。




バラモン種の家庭は6、7歳になると・・・


約12年間exclamation師の家庭に入り、


バラモン教徒としての精神生活上守るべき権威や心構え


各種神々の祭り方や式典儀礼など学ぶことになります。 


そうして我が家へと戻り、家庭生活をはじめます。


そこでは祖先の霊を祀り


社会的、宗教的な義務、あるいは社会人としての役割を果たしていくことになります。


やがて子供が一定年齢に達する頃、一切を子供に託し


自らは森林に入って瞑想苦行に明け暮れる修行生活を送る慣わしになっていたのであります。 


バラモンの修行の特徴は、


こうした森林生活を営む場合、夫婦でそれに励むことが多かったということで、


こうした点では、


男女平等の宗教的風土があったとされます。



そして、この時代の僧侶(出家修行者)サマナーと呼ばれました。 


さらに年老いて、森林生活に入り、遊行の旅を楽しみ、


各地を托鉢による布施で生活しながら遍歴をし、


瞑想ヨガを行じ、苦しみの一条から解脱を目的とする生活に入ってゆく・・・


そんな晩年の僧侶(出家修行者)のことをサロモン(比丘)と呼びました。


すでに釈迦当時にあっても、


過去数百年来、こうしたバラモン出家の修行生活の形態が続いていたとされます。



そして、ゴータマ・シッタルダ(お釈迦様)ご自身はクシャトリア(武士階級)であり、


決してバラモン種生まれではなかったのですが、


ここでの王子を捨て森林生活に入ったその修行そのものは、


バラモンの最終コースである


サロモンとしての修行に相当いたしました。 


とはいえ、ゴータマはバラモン種ではありません。 


カースト制度がとても厳しい時代ですので、バラモン種しか行えない修行は・・・


本来ならば、してはいけないこと。


極端な話し、罰せられてもおかしくない時代です。あせあせ(飛び散る汗)


しかし、ゴータマ(お釈迦様)は、釈迦国という一国の
ぴかぴか(新しい)王子様
ぴかぴか(新しい)


もしかしたら、バラモン種からは大目に見られていたexclamation&questionのかもしれません。


ですので、ゴータマ自身は、


バラモン修行者としての正式な資格は持っていません。ふらふら


いわばモグリの修行者exclamationとなって、


彼は悟りを求め、修行をしていたことになるのです。


要するに、ゴータマ(お釈迦様)にとって、資格なんてどうでもいいわけです。


なぜならば、


彼は自分一人の栄誉のために・・・とか

自分一人の悟りのために・・・などの


修行をしているわけではないからです。


ゴータマがやがて得ることになる≪悟りそのもの≫によって、



かわいいできるだけ多くの人々が救われるかわいい



もっと言えば、


生老病死の苦縛から解脱ができる道を教え弘め、

世の中をより生きやすくより幸せにさせていく


という



ぴかぴか(新しい)壮大な目的ぴかぴか(新しい)


があったからでありました。



かっこよ過ぎですexclamation×2

posted by どうざん at 17:17| Comment(0) | TrackBack(0) | お釈迦様ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月20日

お釈迦さまものがたり[11]《禅定のあり方》

先日、花合野(かごの)美術館に行ってまいりました。

NCM_0372.JPG
詳しい場所は、>ここをクリック<



動真庵に納められている『十一面観音菩薩』


実は、こちらより縁あっていらっしゃいました。


そして、コーヒー喫茶店を頂きながら、こんなものも見せていただきましたexclamation

木製の美術品(めざし、キュウリ、栗)
NCM_0370.JPG
注:「なすび」は、サンゴ。左上の「ロウソク」は、鹿の角




で、お知らせですが、


facebookで動真庵のページを作りました。

http://www.facebook.com/doushinan


現在、ちょっとしたことをほぼ毎日?facebookの方に書いています。


このFacebookは、誰でも見ることで可能なものですので、ブログしか見ていない方は、こちらものぞいてみてください。


ブログの更新情報なんかもお知らせしていますので、よろしくお願い致しますexclamation


そうそう、「ハロー大分」どうでしたでしょうか。


私たちは、(TVがないので)まだ見れてません。たらーっ(汗)


後日、CDDVDCDが送られてくる予定ですので、楽しみに待っている状態です。るんるん


ハロー大分のホームページに紹介してありましたので、チェックしてみてください!


☆ココをクリック☆




それでは、久しぶりの続きですよ〜わーい(嬉しい顔)





ゴータマがカピラ城を出て六日目の夕方のことでありました。 


バラモン(インド最上位の僧侶階級種族)系の修行者が同じ森の中に入ってきた。


70過ぎのようだが適当な場所を見つけると、もう瞑想に入っていた。 


でもこの修行者の場合は、悟りのための瞑想というより


森林生活という一儀式


の中に自分を置いているような雰囲気でありました。


ゴータマはこの修行者に「禅定のあり方について」質問をします。


そして、返ってきた言葉は・・・



「その目的とするところは一切の雑念を払い、になることである。になったときに、は現われ、自分ととが一体になるもの」


ということであった。 


これって、私たちが思う座禅(瞑想)の方法ですよね。


でも、ゴータマ(お釈迦さま)にとっては・・・


・・・低い段階でありました。



想念を無にするとされる瞑想三昧は、


人によっては雑念から遠ざかる方法として必要ではあろう。


ただ雑念を浮かばぬようにさせることと、


仏の出現、さらには仏の境界とが、


どうして結びつくのか?


ゴータマからすればそこがおかしいのであった。



武術の稽古にも無念無想ということがよく言われます。 


自分がになると相手の動きがよくわかり、相手から打たれるということがないのだという。


ところがゴータマの経験からすれば、無念無想という心の状態は、


人間が呼吸をし意識が目覚めている限り、そうした瞬間は生まれても、


長くは続けることができないことが知れた。 


またそうした心の状態は、≪悟り≫などとは縁もゆかりもない


ただの思い込み・錯覚にしか過ぎないものである。


そのことも二十九年間・ゴータマ自身のの探索からよく理解がされていたのでありました。 



こうして、ゴータマは一礼して、自分の居場所に戻っていかれました。



続く・・・


posted by どうざん at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | お釈迦様ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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