2011年12月17日

神社参り

15日に、神社にお参りをしてきました。



まずは、こちら。
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高天原 日の宮 幣立神宮

こちらは、熊本県にあります。(私は大分県在住ですが・・・)


初めてお参りさせていただいたのが、10年くらい前になるかなぁ〜。


それからは、だいたい年1回はお参りするようになりました。


ここは、とします。


東御手洗という、きれいな湧き水と竜神様が住んでいるという池がありまして、そこで見かけた木に生えたきのこたち
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そして、初めて行った 宮崎県にある高千穂神社
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つづいては、秋元神社
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ここも宮崎県ですが、高千穂神社の奥宮と言われているところでして・・・



これが、ずいぶんと道の狭いところを通るわけで、しかも標高が高いから絶景を拝めますが・・・ちょっと怖い・・・すごい道中でした。

途中、無人販売所で野菜類を物色してると販売者宅のご主人が現れて、結構買おうとしてたら、「いっぱい買ってくれるから」と大根を2本、畑から引き抜いてサービスして頂きました。



いやぁ〜、ありがたい。




そういった温かいエピソードもありながら、道を間違え・・・




『ココドコ?』



を経て、たどり着きました。




ここもすばらしい地でした。





ところで、坊主が何故、神社へ??




・・・と、お思いではありませんか?




これを読んでいらっしゃる、あなたに設問です。




あなたの家、又は、ご実家に仏壇がありませんか?




神棚はどうですか?



結婚式は、チャペル?神前?仏前?どれでしたか?



赤ちゃんが生まれたら、お宮参りに行きませんか?



七五三神社仏閣へ行きませんか?



節分をまきませんか?



お盆彼岸供養(墓参りなど)をしてませんか?



クリスマスにお祝いをしていませんか?



年越しは、お寺?神社?



お正月初詣神社仏閣へ行きませんか?



鏡餅門松しめ飾りお年玉・・・・






私たちは『このときはココ!』常識だと思い込んでいます。




よく考えてみてください。




私たちが常識だと思っていること。




私が書き出したものでも、仏教だったり、神道だったり、キリスト教儒教道教も。




宗教という観点からみれば、仏壇があれば、仏教徒というのが自然だと思います。

これであれば、イエス・キリストの降誕を祝う『クリスマス』ではなく、お釈迦様の降誕を祝う『灌仏会(かんぶつえ)』(花まつり)を祝う方が道理がかなっているではないかと思うのです。



でも、私たちは『クリスマス』を祝う方がしっくりくる。




道理からいえば、非常識なのでは?・・・




しかし、私たちは、これを『常識』としている。




『常識』とは結局、自分たちの都合のいいように解釈しているに過ぎません。




だから、『常識』『非常識』というものは、「時代」「土地」「人」・・・によって変わるということ。




仏教で言うところの≪無常≫
(一切の物事は一定であり続けることはなく、常に変わっていくもの)




要するに『常識』というものも移り変わりゆくもの。




だから、そこに縛られる必要はないということ。





『常識』があなたを縛っているのでは、ありません。



あなたが『常識』というものあなた自身縛っているのです。



縛る緩める解き放つも、あなた次第です。




私たちも≪無常≫の身。





あなたはそれでも、縛り続けますか?それとも解き放ちますか?



posted by どうざん at 19:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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