2011年12月30日

宗教って・・・

早いもので、あと2日ですよ、今年も・・・

で、こんなニュースが入ってきました。


イエス・キリスト生誕の地とされるヨルダン川西岸のパレスチナ自治区ベツレヘムにある聖誕教会で28日、ギリシア正教会とアルメニア正教会の司祭約100人が乱闘となり、警察が介入する騒ぎとなった。AP通信が伝えた。

司祭たちは1月7日の正教会のクリスマスを前に、教会内のそれぞれの敷地を清掃。相手の敷地に侵入したことで口論となり、ほうきを振り回してのけんかに発展したという。大けがをした人はいなかった。





なんだか、ため息がでる出来事です・・・バッド(下向き矢印)


この誕生の地とは、聖墳墓教会(せいふんぼきょうかい)といいまして、エルサレム旧市街(東エルサレム)にあるキリストの墓とされる場所に建つ教会です。

新約聖書において、イエス・キリストが十字架に磔にされたとされる『ゴルゴタの丘』は、この場所にあったとされているそうです。

要するに、中東地域の教会の中心聖地であって、カトリック教会、ギリシア正教会、アルメニア正教会などが共同管理していて、毎日どこかの教派がミサや礼儀などの行事を行っています。


聖職にある方々が、敷地に、入った入らないで、ほうきまで振り回し、けんか・・・

司祭であれ、人間なわけですから、怒る気持ちは分からなくもないですが・・・

私は、宗教とは『愛』『平和』を掲げ、先頭にたって実践していくものと考えていますので、じつに悲しいお知らせでした。

どうやら、1回や2回ではなさそうなので、ココロが痛みます。




ちなみに、『正教会』から別れたのが『カトリック教会』で、職名が<司祭>、そして「神父」と呼びます。

もう一方が『プロテスタント』で、司祭ではなく<牧師>「先生」と呼びます。




『カトリック教会』は基本的に、帯妻できません。※例外もある。


では、『正教会』はというと・・・

もちろん<司祭>はできませんが、司祭の一つ手前に<輔祭>(ほさい)であれば、妻帯はできます。※輔祭とは、司祭の補佐です。


一方『プロテスタント』は、キリスト教徒は皆<司祭>であるという教理のもと、聖職者という役割が存在しないので、教職者<牧師>妻帯できます。だから「先生」と呼ぶんですね。



仏教でいえば、『正教会』『カトリック教会』が、東南アジア中心の上座部仏教(小乗仏教)

『プロテスタント』が、日本などの大乗仏教と考えていただいてもいいかも。





いや〜、こうやって考えると宗教って・・・ややこしい。ホントに・・・




元々は、キリスト教だってイエス・キリストから始まったものだから、1つだったはず。

仏教だって、お釈迦さまから始まったんだから、1つだったはず。




人間は、身勝手な生き物。


自分たちの都合利益執着してしまう。


ご覧のとおり、現在までに神や仏に仕えてきた人たちでさえ・・・



こういう時代だからこそ、


『愛』の心。
≪そべての存在を許し、互いに助け合い・愛し合い・いたわり合い・連携し合う心≫

『慈悲』の心。
≪何も見返りなど求めずに他へと捧げ、慈しみ、かばい立て、他の悲しみや苦しみを取り除いてやろうとする、自己を滅却し広い豊かな心≫

『調和』された心。 
≪慈悲の心と愛の心とが結び合った当然の結果として、ゆがみも不足も無理も軋轢も妥協なども一切なく、すべてが円満・闊達・満ち足り、さらなる進歩向上がされてゆける心≫


が必要です。


今は、はっきり言えばこれらとは逆ですよね。(特に、政府・原発関連とか・・・)




個々がつながり、すべてが互いに進化し高め合えるような世の中になりますように。


posted by どうざん at 22:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月27日

割れ石

一週間ほど前に、国東に住んでいる友人宅(私は、初めてでしたが・・・)に遊びに行きました。

そこの近くにある巨石です。
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かなり大きいです・・・

KUNISACHI'Iというホームページも作ってらっしゃいます。



東京から大分県に移住された方で、田舎暮らしをされています。

私も、庵(お寺)を創るべく奮闘中なため、なにかヒントとなることがあるのではないか?と思いながらの訪問でした。

写真はありませんが、そこには≪薪ストーブ≫が設置されていましたが、まだがついていない。

そこで、私がをつけさせていただきました。



いい!


≪薪ストーブ≫最高です!!



私が創るところには、囲炉裏がほしいと思っていましたが、≪薪ストーブ≫必要と確信exclamation&questionしました。


奥様と色々お話をしていると、旦那さん(通称たつさん)も帰ってらっしゃいまして、またまた色々とお話をさせていただきました。

たつさんは、ヒーラーをされていることもあるのか、ものすごくエネルギーが溢れている方だと感じましたね。


まさに、たつさんこと、木盛龍彦さんは「心に蓋なし」って感じの人です。




ほとんどの人は、「蓋」をしてしまってます。

要するに、「臭い物に蓋」です。

良く見せようと取り繕うんです。

それは、自分をぴかぴか(新しい)立派ぴかぴか(新しい)に見せようと体裁をととのえるため。


でも、そこには実質的な意味はもたない。


『飾り』です。


飾りのない生き方。


なかなかできるものでは、ありません。


私たちの言う≪苦しみ≫は、どこから生まれるのか。




『飾り』もその一つ。




「何」が良くなるように、飾るのか?



「何」の範囲によって変わってきます。




自分自身なのか、世の中なのか。






お菓子やら食事やら、色々頂きました。

お土産までexclamation×2


ありがたいことです。


ご縁あっての出会いです。


意味あるものにしたいですね。
posted by どうざん at 17:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月17日

神社参り

15日に、神社にお参りをしてきました。



まずは、こちら。
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高天原 日の宮 幣立神宮

こちらは、熊本県にあります。(私は大分県在住ですが・・・)


初めてお参りさせていただいたのが、10年くらい前になるかなぁ〜。


それからは、だいたい年1回はお参りするようになりました。


ここは、とします。


東御手洗という、きれいな湧き水と竜神様が住んでいるという池がありまして、そこで見かけた木に生えたきのこたち
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そして、初めて行った 宮崎県にある高千穂神社
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つづいては、秋元神社
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ここも宮崎県ですが、高千穂神社の奥宮と言われているところでして・・・



これが、ずいぶんと道の狭いところを通るわけで、しかも標高が高いから絶景を拝めますが・・・ちょっと怖い・・・すごい道中でした。

途中、無人販売所で野菜類を物色してると販売者宅のご主人が現れて、結構買おうとしてたら、「いっぱい買ってくれるから」と大根を2本、畑から引き抜いてサービスして頂きました。



いやぁ〜、ありがたい。




そういった温かいエピソードもありながら、道を間違え・・・




『ココドコ?』



を経て、たどり着きました。




ここもすばらしい地でした。





ところで、坊主が何故、神社へ??




・・・と、お思いではありませんか?




これを読んでいらっしゃる、あなたに設問です。




あなたの家、又は、ご実家に仏壇がありませんか?




神棚はどうですか?



結婚式は、チャペル?神前?仏前?どれでしたか?



赤ちゃんが生まれたら、お宮参りに行きませんか?



七五三神社仏閣へ行きませんか?



節分をまきませんか?



お盆彼岸供養(墓参りなど)をしてませんか?



クリスマスにお祝いをしていませんか?



年越しは、お寺?神社?



お正月初詣神社仏閣へ行きませんか?



鏡餅門松しめ飾りお年玉・・・・






私たちは『このときはココ!』常識だと思い込んでいます。




よく考えてみてください。




私たちが常識だと思っていること。




私が書き出したものでも、仏教だったり、神道だったり、キリスト教儒教道教も。




宗教という観点からみれば、仏壇があれば、仏教徒というのが自然だと思います。

これであれば、イエス・キリストの降誕を祝う『クリスマス』ではなく、お釈迦様の降誕を祝う『灌仏会(かんぶつえ)』(花まつり)を祝う方が道理がかなっているではないかと思うのです。



でも、私たちは『クリスマス』を祝う方がしっくりくる。




道理からいえば、非常識なのでは?・・・




しかし、私たちは、これを『常識』としている。




『常識』とは結局、自分たちの都合のいいように解釈しているに過ぎません。




だから、『常識』『非常識』というものは、「時代」「土地」「人」・・・によって変わるということ。




仏教で言うところの≪無常≫
(一切の物事は一定であり続けることはなく、常に変わっていくもの)




要するに『常識』というものも移り変わりゆくもの。




だから、そこに縛られる必要はないということ。





『常識』があなたを縛っているのでは、ありません。



あなたが『常識』というものあなた自身縛っているのです。



縛る緩める解き放つも、あなた次第です。




私たちも≪無常≫の身。





あなたはそれでも、縛り続けますか?それとも解き放ちますか?

posted by どうざん at 19:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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