2014年07月12日

お釈迦さまものがたり[36]《心の曇り2》

駐車場に咲いていた
P6241461.JPG
小さな小さなコスモス


ここで明鏡止水とされていたゴータマの心も、

ふとしたことから急に曇ってしまいます。


つまらない言いがかりをつけてきたバラモン修行者

受ける立場にあったコースタニヤら五人との話しがされているのを、

ゴータマがにしてからのことであった。


思念とは先へ先へと発展していくもの、

今の今まで静寂だったゴータマの心

にわかに高ぶりをみせ、

平常心どころか・・・

逆に闘争心ばかりがどんどんと募ってくるようになってきたのです。


修行者が言い立ててくる話の内容たるや、


バラモン種特有の

差別意識むき出しでしかない偏見我見ばかりが随所に散りばめられ

とてもついていけるものではなかったし、

おまけに真理についての真面目な追究の姿勢

ほとんど見られず


修行者同士がする議論とはいいようがなかったからである。


「もう いい加減にしてくれ!」

とばかりに・・・ 


それは怒りの感情へと繋がってしまうのであった。 


私達人間が持つ

そのの領域としてある感情を取り乱してしまうと、

日常の正しい判断はおろか、

悟りを求める者にとっては開かせていかねばならぬ

肝心な心

完全に閉ざしてしまうのである。


人間は感情の動物だというが、

まさにその通りで、

情緒あるいは情操からなる感情領域の情況いかんによっては、

悟りへと繋がろう心の奥底へと通ずる

大切な意識想念の道の門戸

大きく塞いでしまうことになるからといえます。



それだけ人間感情というものは、

心の探究者いや求道者にとっては


重要な問題領域としてあるということであります。


次回は、「ゴータマの詰問」

お釈迦さまがバラモン修行者に厳しく問いただされます。

お楽しみにexclamation×2



posted by どうざん at 17:19| Comment(2) | TrackBack(0) | お釈迦様ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月21日

お釈迦さまものがたり[35]《心の曇り1》

今日は・・・

動真庵2周年

3年目に突入ということで、

久しぶりに更新です。あせあせ(飛び散る汗)

P6081426.JPG

さて、前回までのお釈迦さまものがたりは・・・


不思議と心に波風が立たず、心の静寂が続き、

このままいけば・・・

めざす悟りの境地(解脱)にたどり着くかにみえた
のでありました。



が、しかし・・・


明鏡止水とされた静寂なゴータマのその心も、

ふとしたことから曇ってしまわれます。


そもそもの始まりは、

コースタニヤら五人と、バラモン修行者との

口論
でありました。


バラモン行者が彼ら特権階級意識をむき出しにして、

コースタニヤら五人がしている修行をあざ笑い

そのうえアレコレと理屈をこね、なじるのである。 


当時・バラモン修行者の間では、

道場破りというか過激に論争を挑み

「我れこそが勝ちなり!」

と誇らしげになって弟子を奪い

名声を上げようとする者が多くいたといいます。


もうこうなったら、

自己の修行悟りなどはどうでもよく

勝ち負けだけがすべてであるとする権力闘争へと身を任せ、
宗教の本義などどこへやら?
ということになりましょう。


でも考えて見れば、この時代は

バラモン種という一握りの特権階級者

政治・軍事・司法の全権を掌握していた下にあったわけだから、

バラモン教などとは名ばかりの宗教でしかなく、

それはバラモン外の民衆を支配するための体(てい)のよい道具となって、

彼らバラモン種がいいように宗教を利用していただけのこと

であったといえるでしょう。 


このように・・・


容赦なく他者を排撃する特質を持つ宗教が

自己の教義を喧伝するあまり次第に過激になっていけば、

それが日常生活の隅々にまで強く影響を及ぼすことになり、

やがては政治や軍事にまで露骨に介入がされ、

何よりもモノ言わぬ弱き大衆が犠牲にされてしまうことになりかねません。 


宗教と政治とは火と油 


結びついてしまうとロクなことはありません。


そこでは、特定思想のみがあらゆる規範を統括するようになり、

何よりも自由が奪われ、人々は弾圧され、

その結果そこに厳しい恐怖政治体制が敷かれ、

世の中の進化発展は損なわれ、

やがては独裁者の誕生となり、

不幸だけが後追いするばかり・・・


歴史をみればおわかりでしょう。


人間の業(ごう)といえば業といえるわけですが・・・

歴史は繰り返すといわれます。  


私たちが存在している

この地上界・三次元立体空間

私達・魂が進化向上していくための、

いわゆる神仏が与えてくれた格好な修行の場であります。

人間良心と過去の教訓、

何よりも開かれたお互いの理解・意見交換を通じ、

私達一人一人が、

こうした偏見をもつ者達から

この地球守らなくてはなりません


と、大きなことを言ってしまってますが、

動真庵は、それくらいの気持ちで

あり続けたいと思っておりますので、

これからも、どうぞよろしくお願い致します。

posted by どうざん at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | お釈迦様ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月14日

お釈迦さまものがたり[34]《金緑色の光》

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ものすごくが降りました。


40cmくらいでしょうか・・・


ここまで降ると、あらゆるものの動きを止め、反響する音を吸収してくれるおかげで、

静寂を楽しめます。

聞こえるのは、せせらぎ鳥の声


えも言われぬ空間


です。

では、続きです。


五年目の雨季がめぐってきたある日、

ゴータマは洞穴で禅定をしていると、

再び眼の前が金色に輝き出してきます。


今度の場合は・・・


その光の中から、

この世のものとは思えぬ 

際だって鮮やかな緑


一面に展開していて、

とてものどかというか実に牧歌的な田園風景が現れてきます。


ゴータマは静かにその光景を眺めました。


樹木の一枚一枚の葉がまるで蛍光塗料で彩られたように鮮烈な緑をきわめ、

一つとして黄色の葉はありません。

しかもそのたるや、同じには違いはないけれど、


一枚一枚の葉に微妙な緑の色のニュアンスがそれぞれにあって、

この世の色彩感覚では到底表現できようもない、

そんな緑を全面に浮き立たせており

一枚一枚の葉は脈々と呼吸をし

みずみずしく躍動しているではありませんか
exclamation


ゴータマは、唯々・・・

心に映るそれら鮮烈な緑の光景にはめ込められてしまうばかりで、

しばし心我一体の境地にひたります。


ゴータマは三十余年の間、父に連れられ、

狩りの途中、あるいは戦いの合間にと、

様々に眼を見張るような光景に接してきたが、

そのどれ一つとして、

いま眺めている景観に比すべきものはなかった。


眼の前に広がる余りの美しさに驚嘆して、

ゴータマは思わず・・・ 


「なんと素晴らしいことかexclamation

 緑は呼吸をしているexclamation
 

 みんな躍動をし生きているexclamation×2」 


感嘆の声が、腹の底から漏れた。

感動にふるえ、涙が噴き出るように頬に伝わった。


これほど切実に大自然が胸に迫ってきたことは

まさに初めての経験でありました。


ここで、ゴータマ・シッタルダ(お釈迦様)はこの世(現象界)には非ざる

光り輝きに満ちた実在界という


ぴかぴか(新しい)心の世界ぴかぴか(新しい)


をあからさまに垣間見たことになるのです。 



ゴータマは静かに、眼を見開いた。

だが眼を開けても・・・

禅定の景観が、瞳孔に焼きつき、

決して消えることがなかった。


まさにexclamation×2

≪心の眼≫で、

心の世界をありありと見定めた

ということになります。 


ゴータマ・シッタルダ(お釈迦様)は、

ようやく眼の前が開かれたような気がしてなりません。

悟りに前進したと思われました。 


雨がやみ、

時間をみて遊行に出ても、

心は軽やか、重くのしかかっていたシコリのようなものも・・・

取り払われたような気持ちでありました。


そうして次には、


しばし眼前に映った光の世界を通して、


来世・自分のあの世の姿を、そしてもっとその奥にあろう

真実なもの・悟りの在り処を見とどけよう



と、決意を新たにするのでありました。


二日、三日、四日と、心の静寂が続いた。


不思議と、に波風が立たなかった。

行雲流水という言葉があるけれど、


ゴータマの心は自然の流れにそのまま乗っている感じでならなかった。


こうして、このままいけば・・・


めざす悟りの境地(解脱)にたどり着くかにみえたのでありました。
posted by どうざん at 17:22| Comment(0) | TrackBack(0) | お釈迦様ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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